2017年6月20日火曜日

コーヒーライターブルース

暗い夜道。仕事帰りの女が一人、トボトボと家路についていた。

寒さが厳しい冬の夜。コートの前をしっかりと合わせ、マフラーに顔を埋めて歩いていた。

駅から家までは歩いて20分。駅を背にして歩き出してまだ5分も経っていない。それなのに…


女の目の前には冬の寒さに立ち向かうかのような格好をした男がポーズを取って立っていた。所謂ジョジョ立ちというやつだ。

シミーズ。そうシミーズのみを纏った男であった。正確にはマスクで顔を覆ってはいたが。

彼の男性自身は天に歯向かうバベルの塔の如くそびえ立っていた。


変態である。紛うこと無く変態である。


逃げたい。逃げなければ。しかし、男の肉体は一流アスリートとも思える鋼の肉体。

恐怖と混乱から体が動かない。脳が働かない。



「・・・ださい」


声が聞こえた。目の前の男から声が聞こえた。まだ混乱する頭には声は聞こえるが意味が読み取れない。



「・・・いてください」


してください?何を?何なの?そもそも誰?というか逃げなきゃ…

まだ混乱しているが、ようやく事態を把握してこの場を離れなければという考えは出た。

一歩後退ろうとしたその耳に今度はハッキリと聞こえた。



「ワタシの万華鏡を覗いてください」


まんげきょう?体が固まった。思考も固まった。あまりに現実味がない台詞が聞こえたからだ。


万華鏡なんて持ってないじゃ


彼の股間からそびえ立つ男性自身。それがこちらを向いた。

万華鏡であった。万華鏡の筒であった。意味が分からない。また思考が止まった。脳が死にそうである。



『待ちなさい!ちょっと待ちなさい!』


急に声が聞こえた。中年の男の声である。目の前の男とは違う声。高い位置から聞こえる。

目の前の変態も狼狽えた様子を見せている。


ふと視線を上げると、そこにはだらしなく腹が出た白髪交じりのメガネのおじさんがいた。

白いランニング。白い股引。でも股引は何か模様が入っている。股間の部分を中心に。


「だ、誰ですか?」

変態が声をあげた。やや上ずった声。動揺している。


しかし、おじさんは男の問いを無視して女に声をかけた。

『お嬢さん。早くお家に帰りなさい。ドラマ始まっちゃうよ?』


女はドラマなんて見ていない。このおじさんなんなんだろう?そう思ったが、確かに逃げるなら今だ。

女は逃げようとした。


「誰なんですかアナタ!失礼でしょうアナタ!」


いや、失礼なのはオマエだろ。女は変態の台詞に心の中で反論した。



『私はキミのような変態から市民を守る者だ。』


そんな人いたんだ。女はおじさんも変態にだいぶ近いけどなーと思いながら、そろそろと後退していた。


「ワタシが変態?それならアナタだって似たようなモノでしょアナタ!」


変態が激昂した。獣の臭いが漂い出した。この場はこれより死地に入る。そんな臭いがした。


『私はキミとは違うよ。私はヒーローさ。』


「ヒーロー?アナタただのオジサンでしょ!」


『私はヒーローさ。私は変態にキツい一発をお見舞いする者。名前は【踏ん張ったら肛門から血ぃ出るマン】だ!』





あー、あの模様って血か…

2017年6月19日月曜日

浦島ざる者

鯛や鮃が舞っている。色とりどりの魚達が艶かしく目の前で舞っている。
分かっている。コレは幻想だ。どんなに綺羅びやかでもコレは幻想。目に映る全てが正しいモノでないコトは分かっている。
だから大丈夫。まだ大丈夫。そう、大丈夫。

竜宮城…と呼ばれる阿片窟へと潜り込んだのは何日前だったか。いや、何週間前?既に中に入ってから暫くの時が経つ。上からの要請で証拠を挙げる為にやって来た。どうせすぐに終わる腐れ仕事。そう思っていた。

しかし、ココの首魁である乙姫とやらは余程奸計の働く奴らしい。
漂う匂いは間違いなく阿片。しかし、その物的な証拠が一切手に入らない。その上、一度入った者は中々帰そうとはしない。あれこれと理由を付け、次から次へと供物を用意し、こちらから話を切り出し難くしている。

今度は目の前を見たこともないような長い魚が横切った。コレも幻想だ。
だが、その質感は本物さながらである。触れてみたいと思ってしまう程の質量を伴った幻想。本当にコレは幻想なのだろうか?いや、大丈夫。まだまだ大丈夫。

懐に忍ばせた暴力の塊を撫でる。コレさえ手元にあれば正気を失わずにいられる。
美しい彫刻が飾られた愛しい相棒。コイツの鳴き声さえ聞けばいつだって正常に戻れる。
そう信じて時が来るのを待っている。今はまだ動く時では、ない。



少し前にショートボブにした栗色の髪をイジりながら、モニターの向こうの男を眺める。
「ねーねー、このヒトってヒゴーホーやってる系だよね?なんでツーホーしないの?」
振り返りもせずに言う。答えは少し遅れてやってくる。
「ナチュラルだからだ」
なちゅらる。つまりはビョーキなのだという。
「えー!余計危ないじゃん!ツーホーしよーよー」
今度は何も返って来なかった。

合法ドラッグ専門店。完全に密閉された個室の中で楽しむ新しい商売。
国の審査をクリアした、短時間しか作用せず依存性の極めて小さい混合気体。それを吸引する為の場所がソレである。が、その裏の顔は非合法ドラッグ使用者を秘密裏に逮捕する為のトラップでもあった。

モニターの向こうの男はどう見ても裏の方の該当者にしか思えなかったが、どうやら脳波が正常なビートを刻んでいないタイプであるらしい。

そうしている内に、男の部屋に幻想を打ち壊すブザーが鳴り響いた。
それと共に、男はこめかみにゴツい鉄の塊を押し当てた。ブザーに轟音が混じった。


どうやら残業しなければならないようだ。